読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

タハラ

田原成貴はいまでこそネタ扱いだが、90年代の競馬の半分は田原で成り立っていた。オーバーに聞こえるけど、本当なのである。93年のトウカイテイオー復活の有馬記念に始まり、変幻自在の騎乗、そしてムラ馬でもあったマヤノトップガン桜花賞ファイトガリバーやスプリンターのフラワーパークといった恋人たち。日頃の素行と営業が良くないせいか、平場では騎乗馬確保すらできてなかったのに、常に派手な、というか田原色に染められたお手馬がいた。当時、高校生だったけど、武と田原というくらいに印象は強かった。

ちなみにオールカマートップガンは手応えが悪かったのに、ファンサービスの一環で、ライバル馬サクラローレルを4角でちら見して場を沸かせたらしい。

勝つことだけではなく魅せることにこだわった男が田原である。福永や川田あたりにはできないだろう。

f:id:can_do:20140924090942j:plain

f:id:can_do:20140924091055j:plain

f:id:can_do:20140924091105j:plain

f:id:can_do:20140924091134j:plain

f:id:can_do:20140924091148j:plain

f:id:can_do:20140924091210j:plain

f:id:can_do:20140924091229j:plain