タハラ
田原成貴はいまでこそネタ扱いだが、90年代の競馬の半分は田原で成り立っていた。オーバーに聞こえるけど、本当なのである。93年のトウカイテイオー復活の有馬記念に始まり、変幻自在の騎乗、そしてムラ馬でもあったマヤノトップガン、桜花賞のファイトガリバーやスプリンターのフラワーパークといった恋人たち。日頃の素行と営業が良くないせいか、平場では騎乗馬確保すらできてなかったのに、常に派手な、というか田原色に染められたお手馬がいた。当時、高校生だったけど、武と田原というくらいに印象は強かった。
ちなみにオールカマーのトップガンは手応えが悪かったのに、ファンサービスの一環で、ライバル馬サクラローレルを4角でちら見して場を沸かせたらしい。
勝つことだけではなく魅せることにこだわった男が田原である。福永や川田あたりにはできないだろう。